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イザイの紹介

「ヴァイオリン史に残るすべての人の中で、誰よりも会ってみたいのがパガニーニとイザイだ。
どちらも、演奏史におけるヴァイオリンという存在を幾度となく飛躍的に前進させ、際だって深く、広い想像力、創造性をもつ、作曲家にして演奏家だ。これほどの人物と知り合えたら、どんなにか名誉なことだろう!

アイザック・スターン(1920~2001)

「イザイほど正確な演奏ができるヴァイオリニストを聴いたことがない」

パブロ・カザルス(1876~1973)

「彼は『ヴァイオリンの騎士』、最後の大ヴィルトゥオーゾ、我々の芸術における忘れがたい記念碑として記憶に残り続けるだろう」

カール・フレッシュ(1873~1944)

「ウジェーヌ・イザイの思い出は特別に貴重なもので、今も鮮やかに蘇ってくる。イザイの演奏は、それを聴くという至福の時を体験した者すべてに消えることのない衝撃をあたえたのではないか」

ヨーゼフ・シゲテイ(1892~1973)

「私にとってヴァイオリニストの偶像といえばウジェーヌ・イザイでヨーゼフ・シゲティではない」

「イザイはメッセージを持っている。尊いメッセージだ。ただ、毎回弾く度に発するとは限らないのでよく注意していなければそれを逃してしまう。しかし、そのメッセージが放たれる時は実に素晴らしいのだ!ある水準を安定的に達し、いつどこでも変わらずに弾く芸術家は二流である。特別な一時を作れるのが巨匠だ。その瞬間を待つ価値は大いにある。」
「私はイザイから本当に沢山のことを学んだ。」

フリッツ・クライスラー(1875~1962)

 

 

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 http://ysaye.kbr.be/

https://www.kbr.be/fr/fonds-eugene-ysaye

 

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ウジェーヌ・イザイEugène-Auguste Ysaÿe (1858-1931)

イザイの遺産――作曲家や演奏家達との交流を通して

 

ベルギーのヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイは1858年に生まれた。当時ベルギーという国は、建国わずか28年であった。彼の生まれた町リエージュは、マース川に面した水運都市で、オランダやドイツとは数十kmしか離れていない。フランス語圏最北のこの町は、ウィーン会議の際、戦勝国から求められた「緩衝地帯」の象徴であった。僅かな間ネーデルラント連合王国の一部であったベルギーは、1830年に革命を経て独立を宣言する。イザイの芸術家としての絶頂期、ベルギーは世界第3位の経済大国となった。

 

イザイがリエージュで受けた教育は、後にパリで受けるものとは大きく異なっていた。そこでは、ゲルマン文化世界がラテン世界と平和裡に共存し、オペラの支配はより少なく、管弦楽や室内楽が多く演奏されていた。青年イザイはそのメッセージを完璧に具現する。ヴィエニャフスキやヴュータンの教えをしっかり吸収した後、彼はベルリン(後のベルリンフィルとなる楽団で活動した)と、当時の芸術の都パリで過ごす。1886年、母国の首都ブリュッセルの王立音楽院の教授に任命されると、たちまちブリュッセルの音楽界の第一人者となり、2つの芸術家団体「20人会」と「自由美学」の伝説的な演奏会に参加する。これらは、当時のヨーロッパ現代音楽の主要な坩堝であった。

 

その間イザイは、アントン・ルービンシュタイン、グリーグ、ヨハン・スヴェンセン、サン=サーンス、フォーレと出会い、ショーソンからドビュッシーまでフランス音楽の若き天才達と親交を持った。そして、1890年代のヨーロッパとアメリカにおいて最も有名なヴァイオリニストとなったが(そのため、ベルギーにいることは稀であった)、彼の演奏家としてのキャリアは、恐らく何よりもまず、これらの作曲家との交流に拠るところが大きい。彼は常に彼らに新作を委嘱し、それはソナタから弦楽四重奏曲にまで及んだ。当時これほど多くの初演を行った演奏家はいないだろう。ほんの一例として、フランク、サン=サーンス、フォーレ、ダンディ、ショーソン、ドビュッシー、ルクー、マニャールなどの作品が、彼の演奏会で聴衆に発表された。イザイとソナタの共演が許された特権的なピアニストとしては、ラウル・プーニョやブゾーニ、そして晩年にはイヴ・ナット、クララ・ハスキルがいる。

 

ウジェーヌ・イザイはまた、ソナタのみで構成されるリサイタルの型を作り、近代フランス楽派を貫きながらも、ゲルマン文化への愛着を、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスなどのソナタで表した。普仏戦争(1870)から第1次大戦(1914-18)までという、世界が再編されていく間、パリでも、ロンドンやウィーンやニューヨークでもそれができたのは、恐らく、彼がベルギー人だったからである。今日では余り知られていない当時の作曲家、テオドール・デュボワ、ギィ・ロパルツ、ジョゼフ・ジョンゲン、アンリ・フェヴリエ、ピエール・ド・ブレヴィル、エイミー・ビーチらにとって、彼の演奏会に作品が採り上げられることは、不滅の保証を獲得することであった。

 

作曲家イザイの作品は、長い間、音楽学において「世界の寄せ集め」と見做されてきたが、実際「世界を寄せ集める」ことに成功したといえる。彼が若いヴィルチュオーズ達にもたらした称賛は、各々の固有の特徴に対する称賛という、同じ大らかな精神を表している。彼が6人の友人へのオマージュとして作曲した6曲の無伴奏ヴァイオリンのためのソナタには、それぞれシゲティとハンガリー、ティボーとフランス、エネスコとルーマニア、クライスラーとオーストリア、クリックボームとベルギー、キロガとスペインというように、各曲に国、精神、性格が認められる。イザイは、弟子のマチュー・クリックボームとジョーゼフ・ギンゴールドに代表される2つの世代に影響を与え、エリザベート王妃コンクール(旧イザイコンクール)の精神にその名を刻んだ。が、これらのこと以上に、彼の開放的な精神は、当時恐らく、一人の寛大な芸術家が後継者達に残すことのできた、最も美しいメッセージなのである。今日このメッセージは、以前よりずっと良く理解されている。だからこそ、この6曲のソナタは、芸術的、技術的な美点を超え、現在のヴァイオリニストの重要なレパートリーとなっているのだ。そして彼らは、近代的で厳しくも思い遣りのある、自身の最善を尽くすよう励ましてくれる友を、この作曲家の中に見出だすのである。

                                    ミッシェル・ストッケム

 

 

外部リンク

href=”https://en.wikipedia.org/wiki/Eug%C3%A8ne_Ysa%C3%BFe”>https://en.wikipedia.org/wiki/Eug%C3%A8ne_Ysa%C3%BFe

 

ベルギー王立図書館 KBR

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