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イザイの紹介

「ヴァイオリン史に残るすべての人の中で、誰よりも会ってみたいのがパガニーニとイザイだ。
どちらも、演奏史におけるヴァイオリンという存在を幾度となく飛躍的に前進させ、際だって深く、広い想像力、創造性をもつ、作曲家にして演奏家だ。これほどの人物と知り合えたら、どんなにか名誉なことだろう!

アイザック・スターン(1920~2001)

「イザイほど正確な演奏ができるヴァイオリニストを聴いたことがない」

パブロ・カザルス(1876~1973)

「彼は『ヴァイオリンの騎士』、最後の大ヴィルトゥオーゾ、我々の芸術における忘れがたい記念碑として記憶に残り続けるだろう」

カール・フレッシュ(1873~1944)

「ウジェーヌ・イザイの思い出は特別に貴重なもので、今も鮮やかに蘇ってくる。イザイの演奏は、それを聴くという至福の時を体験した者すべてに消えることのない衝撃をあたえたのではないか」

ヨーゼフ・シゲテイ(1892~1973)

「私にとってヴァイオリニストの偶像といえばウジェーヌ・イザイでヨーゼフ・シゲティではない」

フリッツ・クライスラー(1875~1962)

■ウジェーヌ・イザイについて

ヘンリー・ロート(中村ひろ子訳)

バラ

パガニーニがヴァイオリンの指板を隈なく探究した19世紀の前半から数十年後、ヴァイオリンのコンサート・プログラムは雑多な音楽の海に飲み込まれかけていた。この流れに抵抗したのがヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスといった巨匠たちの傑作を大衆に広めた。そのライヴァルと目された、もっと親しみやすいヴィルトゥオーゾ、パブロ・デ・サラサーテ(1844~1908)は、聴衆をロマンティックな協奏曲の極めつけともいうべき作品で眩惑し、故郷スペインの彩りを添えた技巧的な自作の小品で魅了した。しかし、こうしたヴィルトゥオーゾたちに共通する技量すべてをもってしても、ヴァイオリンが持つロマンティックな可能性はまだ十全に開花したとはいえなかった。ヴァイオリン演奏に関して19世紀末期でもっとも重要な変化は、音色が非常に官能的になり、絶えずモダン奏法のヴィブラートをかけるようになったことである。ヴィブラートをかける指の振れ具合は曲想が高まると大きくなり、速さにも幅があった。こうした技法が出現し、それによって新しい多様な音色が生み出されたことによって、相対的に「乾いた音色」の巨匠たちは衰退の一途を辿った。19世紀から20世紀の過渡期を象徴するヴァイオリニストが、ウジェーヌ・イザイである。イザイの演奏スタイルはロマンティックなヴァイオリンの新たな頂点を代表するものであり、綺羅星のごとく後に続く者たちに影響を与え、刺激を与えた。
著名なヴァイオリニストにして教師だったカール・フレッシュ(1892~1944)は、イザイを評して「私がこれまでに聴いた中でもっとも傑出した個性的なヴァイオリニスト」と述べた。ヨーゼフ・シゲティ(1892~1973)は「ウジェーヌ・イザイの思い出は特別に貴重なもので、今も鮮やかに甦ってくる。イザイの演奏は、それを聴くという至福の時を体験した者すべてに消えることのない衝撃を与えたのではないか」と書いた。イザイの親友だったフリッツ・クライスラー(1875~1962)は「私にとってのヴァイオリニストの偶像といえばウジェーヌ・イザイで、ヨーゼフ・ヨアヒムではない」と語っている。
ウジェーヌ・イザイは、1858年7月16日、ベルギーのリエージュに生まれた。父はニコラス・イザイ、母はマリー=テレーズ・ソティオー。5歳のとき初めて父にヴァイオリンの手ほどきを受け、続いてデジレ・ヘインベルク、ロドルフ・マッサールに師事した。しかし、イザイは決して神童ではなかった。少年は数年後、到底ヴァイオリニストになれそうもないからという信じがたい理由でリエージュ音楽院を退学するよう求められる。
1873年、イザイはブリュッセルに住んでいた(そこでヴイエニャフスキに12回レッスンを受けている)。その家の前をベルギー楽派のヴァイオリニストの旗手アンリ・ヴュータンがたまたま通りかかって、少年の練習を耳にした。少年の才能に感銘を受けたヴュータンは、イザイが勉強を続けられるよう政府の助成金を取り付ける。それには、巨匠自身によるレッスンも含まれていた。有名なヴァイオリニストの多くが子供の頃から天才として名を馳せていたのに対して、イザイはカフェでヴァイオリンを弾き、あちこちの名もない田舎のホールで演奏した。だんだんと、著名な演奏家たちと出会って共演するようになり、1881年にベンヤミン・ビルゼのベルリン管弦楽団で1年間コンサートマスターを務める。1882年にはロシアに演奏旅行を行ったが、イザイが真に国際的な地位を獲得したのは、1890年、32歳にしてウィーンでの成功が大評判になってからのことである。1894年にはブリュッセルでコンサート・シリーズを創設、一流の演奏家たちと共に数え切れないほどの私宅での室内楽の夕べに出演し、自らの弦楽四重奏団を数々の公のコンサートに出演させた。同年アメリカ・デビューで大成功を収め、数年のうちに大変有名になったため、1898年にはニューヨーク・フィルハーモニックが音楽監督の地位を提供したが、イザイはこれを退けた(しかし、ヴァイオリニストとしてのキャリアが下り坂になった1918年にシンシナティ交響楽団の指揮者となり、1922年までその地位にあった)。
ソリスト、室内楽奏者、指揮者としての実績に加え、イザイは優れた教育者でもあった。弟子にはジョーゼフ・ギンゴールド、マチュー・クリックボーム、アルフレッド・デュボワ、ルイス・パーシンガー、作曲家のエルネスト・ブロッホらがいる。さらに重要なのは、多作の作曲家であったことだ。作品は、出来にはむらがあるものの、独特のスタイルと精神性をもつ。
中でも傑出しているのが1920年代半ばに作曲された6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタで、それぞれ名高いヴァイオリニストに献げられている。際だって技巧的な作品であり、今日ではリサイタルに録音にコンクールの課題曲に、たびたび取り上げられている。

家

イザイの演奏は、熱情的でしなやかなアーティキュレーションと、驚くべき詩的なフレージングの類い稀な融合であり、まさしく万華鏡のごとき多彩な感情を包含している。歓喜から諧謔まで、優しさから情熱まで、時に荒々しく、時に華やか、幻想に満ち、憂鬱で、奔放な官能に満ちている。
感情の霊感の幅広さにかけては、ほとんど並ぶ者がない。至って規律正しいハイフェッツがいつも同じような感情表現、単調な解釈に陥りがちなのに対して、イザイは音楽が寛容な時代に生きていたから、気まぐれで自由奔放だった。ヴィブラートがどんどん官能的になっていく時代の中心的存在だったが、叙情的なフレーズ全体をヴィブラートをまったくかけずに演奏することもあった。瞬間的な閃きで演奏することもしばしば。独特の強烈な音色を、ほかの演奏家と間違えることは決してない。
イザイの時代には過剰に情緒的(「泣き」も含めて)なのが舞台での演奏の主流だった。ヴァイオリンの演奏は、デジタルな現代では許容しがたい感傷的なポルタメントに満ちているのが普通だった。音程も現代のように正確ではなく、恣意的なテンポの揺れは完全によしとされていた。
イザイもそうした風潮を思いのままに享受していたが、それでもその演奏の根本には、こう弾きたいという純粋なものがあった。その点でイザイの芸術は、うまくはあるが過剰に感情的な他のヴァイオリニストたちとは一線を画していた。火を噴くような気性がもたらす爆発的なインパクトと巧みな手品のような早業が、多少不正確なところは埋め合わせてくれる。歴史的な視点で見れば、なおさらだ。 後略(CD「イザイの栄光」ライナーノーツより)

ウジェーヌ・イザイEugène-Auguste Ysaÿe (1858-1931)

5歳の頃から父親にヴァイオリンの指導を受け、リエージュ音楽院に進むとアンリ・ヴュータンやヘンリク・ヴィエニャフスキに師事、いわゆる「フランコ・ベルギー派」の教育を受ける。音楽院を卒業後はベンヤミン・ビルゼの楽団(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)においてコンサートマスターを務めるかたわらソリストとして演奏活動を行う。この時期にヨーゼフ・ヨアヒム、クララ・シューマン、フランツ・リスト、後にともに演奏旅行を行うアントン・ルビンシテインなどと親交を結ぶ。

イザイは1885年にコンセール・コロンヌと共演したことで決定的な成功を収め、以降欧米各地で名声を博した。イザイのために作品を書いた作曲家にはセザール・フランク、カミーユ・サン=サーンス、エルネスト・ショーソンなどがいる。1886年にはイザイ弦楽四重奏団(英語版)を設立し、後にクロード・ドビュッシーの『弦楽四重奏曲』を初演した。指揮者としても活動し、1918年にシンシナティ交響楽団の音楽監督に就任している。ニューヨーク・フィルハーモニックからの招聘もあったが、これは多忙な演奏活動のために辞退した。

また1886年にブリュッセル音楽院の教授に就任し、後進の指導にも力を入れた。弟子にはナタン・ミルシテイン、ジョーゼフ・ギンゴールド、オスカー・シュムスキー、ウィリアム・プリムローズなどがいる。

1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催され、これはエリザベート王妃国際音楽コンクールの前身となった。

演奏家としてはその高い技術と説得力ある表現(多彩なヴィブラートの用法と巧みなテンポ・ルバートが特色として伝えられている)で多くの聴衆を惹き付け、ヴァイオリン音楽に大きな影響を与えた。パブロ・カザルスは「イザイほど正確な演奏ができるヴァイオリニストを聴いたことがない」、カール・フレッシュは「彼は『ヴァイオリンの騎士』、最後の大ヴィルトゥオーゾ、我々の芸術における忘れがたい記念碑として記憶に残り続けるだろう」と述べている。

作曲家としてはヴァイオリンのための作品を中心に残しており、ヨハン・セバスティアン・バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを強く意識した『無伴奏ヴァイオリンソナタ』がよく演奏される。しかし一部の作品を除くと未だに演奏機会は少なく、作品の演奏がおしなべて困難であることもあって作曲活動の全貌は明らかになっていない。
(ウィキペディアより)

href=”https://en.wikipedia.org/wiki/Eug%C3%A8ne_Ysa%C3%BFe”>https://en.wikipedia.org/wiki/Eug%C3%A8ne_Ysa%C3%BFe

外部リンク

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