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 日本イザイ協会理事による随想録              

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「観光って?」

                                                                     

 経済のグローバル化の帰結とも関連するのでしょうか、ここ5年ほどの間に、「観光」と言われる面での世界の人々の移動現象が、情報通信技術と同調して、急速に拡大して来たようです。「インバウンド」だ、「クルーザー」だ、「爆買い」だと、聞き馴れていなかった言葉が日常的に報道の場面で踊ることになりました。

 私の住む太宰府市では、年間観光客が確か5年ほど前には400万人、それでも随分多いという印象でした。当時、中国は南京で講演の機会があり、中山陵に案内されました。太宰府での年間観光客の話になり、この400万という数字を伝えますと、「ああ、ここの一月分ですね。」ということでした。その後瞬く間の増加で、現在公称で900万人といわれていますが、その数字に疑いの眼を向ける人々もいます。

 分かり易くは、現在の大宰府の都市人口がほぼ7万人ですから、雑な計算で、人口1人当たり年間約130人、一家の人数を3人と仮定しますと、実に年間約400人の来客ということになります。観光客の増加によって、市の財政が潤ってくる面はありますが、交通渋滞をはじめ、市民にとってはマイナスになる側面も生じてくるのも事実です。何かの住民の会合で、天満宮への観光客のことを、「参拝客」ならぬ「産廃客」と揶揄する人々が出て来るのも致し方ない面もあるように思えてきます。

 今年の春から、パンデミックな新型コロナウイルスの拡散防止対策として、人々の接触や外出が大きな制約を受けることになりました。そうした状態のさなかで、ともあれ、個々人にとって「観光」という行為が何なのかをしっかりと考え直してみる必要もあり、そのための良い機会だとも思えます。私なりには、無論個人の「好み」なのですが、例えば、チェコの首都プラハで、市内のどこまでも続いていそうな石畳、人々の暮らしそのものを物言わずに支え続けてきた礎を踏みしめることです。決して「観光」という言葉に左右されずに、住民が大事にし、ささやかでも、生活や風土、歴史そのもののイメージを彷彿とさせてくれる宝物の探訪こそ、「光を観る」ことに通じていると思えます。 
                      2020年10月24日 森岡侑士

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「リズムへ向けて」   

                   
                     

 10年ひと昔」などと言いますが、一層のこと50年(半世紀)ほど飛んでみます。つまりは、大昔の話です。

 1970年、大阪で日本では初めての万国博覧会が開催されました。会場計画・設計は丹下健三氏の総指揮の下、名だたる建築家諸氏も加わった、国を挙げての大プロジェクトでした。各パビリィオンも、建築技術や照明、音響などで妍を競い、1964年の東京オリンピックとは一味異なる華やかさでした。既に各地での公害の顕在化もあったのですが、アポロによる月面着陸の技術をもってすれば、世界の貧困は解消できる、などという勇ましい論調もありました。いずれにしても、そのテーマであった「進歩と調和」は表面的な、軽いものという印象でした。敢えて言えば、「進歩」の側面に目を奪われ、「調和」の何たるかに眼をそむける、ということでしょうか。

 大阪万博以降、1974年のオイル・ショックを経て、地球環境の劣化が世界的な話題や課題となりました。地球環境への人間の関わり方は、「持続可能な開発」であるべきだという訳です。これは、1986年に国連のさる委員会が提唱したもので、その定義は僅か数行のものながら、極めて分かり難いので困ります。端的には、「未来を直視し、次の世代の利益を守る」ということのようです。地球のリズミックなサイクルを乱してはいけない、と読めそうです。ならば、『平家物語』の第7巻にある、「流れにいる魚を全て取る時は、多くの魚を得るけれども明年に魚はいない。林を焼いて狩りをする時は、多くの獣を得るけれども明年に獣はいない。・・・少しは残されるべきであったのに・・・。」という表現と同じようです。この平家物語(1240年頃)の引用は、中国の『呂氏春秋』(前240年頃)に依りますので、今からしますと、何と2300年近くも昔のことなのです。これほど端的に持続可能性の条件を示しながら、恐らくそれは、極少数の民族での伝承としてしか今に残らなかったのでしょう。

 2025年の日本国際博覧会のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうです。ともあれ、森羅万象に顕在又は潜む「リズム」を探り当て、交感してゆくことが、まずはの「持続」への道なのかもしれません。
                      2020年9月21日  森岡侑士  

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森岡侑士(もりおか ゆうじ)

1941年満州生まれ、中学2年まで福岡県(旧)八幡市黒崎で育ち、建築家・丹下健三氏の影響で、東京大学工学部都市工学科へ進学。
在学中にイタリアでの技術研修に参加。卒業後、氏がプロデューサーを務めた大阪万国博覧会(1970年)の会場設計に携わる。その後、磯崎新氏の下で、同博お祭り広場の演出デザイン担当。
翌年、イタリアのフィレンツェ大学建築学部に留学、帰国後、丹下健三氏によるサウジアラビア王国南部地方開発計画にプロジェクト・ディレクターとして参画。以来、海外の業務(インドネシア、タイ、フィリピン等)に眼を向けた。特に南米コロンビアでは通算6年間にわたり、中央勧業銀行と国家企画庁のアドバイザー等を務めた。
帰国後、九州産業大学に籍を移し、福岡市等関連の多くの審議会や委員会に関わり、とりわけ新宮町の新中心市街地の形成に努めた。一方、科学と芸術の関係への興味から、霧の彫刻家・中谷芙二子氏と多くのコラボレーションを行っている。実験物理学者として世界の雪研究をリードした氏の父・中谷宇吉郎の記念財団の理事も務める。

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