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■イザイの作品


作品番号・編成・タイトル・調性・献呈者・初演・作曲年を 下記の表にまとめました。
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■イザイとドビュッシー

●日本語訳 安藤秀則

Prof.Lev Ginsburg’s “ Ysaye ” edited by Dr.Herbert R.Axelrod    p.153~p.161

イザイは同時代の多くの作曲家と創造的な交流を持っていました。中でもドビュッシーとの関係は特筆すべきです。1880年代半ばに始まるイザイとドビュッシーの友情は、1900年代に入る頃に試練を迎え、殆ど断絶状態に至りました。それでも芸術家としてお互い共通性がある二人は、没交渉になっても最後まで尊敬しあっていました。ドビュッシーがオルガンの師匠フランクから教わった古典的原則から逸脱した事について、イザイは悲しく思っていました。フランス印象主義音楽の創始者である卓越した作曲家ドビュッシーの作品は複雑で、ある意味 矛盾すらするものでした。ドビュッシーは、ロシア現実主義のムソルグスキーやリムスキー コルサコフを評価しつつ、フランス象徴主義の詩人達を評価する事も出来ました。イザイを魅了したのは、ドビュッシーの音楽の衝撃的創造性、鮮やかな色彩感、絵画的映像性でした。
ドビュッシーの音楽のこの様な特性は、彼の管弦楽組曲 夜想曲 (Nocturnes)の 雲、祭、シレーヌの各曲に顕著です。この  “夜想曲 (Nocturnes)” はもともと独奏ヴァイオリンとオーケストラのための組曲としてイザイのために作曲・献呈されたものです。 1984年9月22日のイザイ宛ての手紙で、ドビュッシーは次の様に書いています。


『とても親愛なる私の友よ、今 私は独奏ヴァイオリンと管弦楽のための三つの夜想曲(Nocturnes)を作曲しています。一曲目ではオーケストラは弦楽器で構成されます。二曲目ではオーケストラは複数のフルート、四つのホルン、三つのトランペットと二つのハープから構成されます。三曲目ではオーケストラは以上すべての弦楽器と管楽器で構成されます。この音楽的探究は、絵画で言えば同じ色、例えば灰色を使って様々に描いてみるのと似たような取組みです。

あなたがこの試みに興味持ってくれる事を、私は切に願っています。あなたがどんな反応をするかが私にとって最大の関心事なのです。
あなたのあらゆるご成功を祈念します。あなたには成功するに相応しい資格があると確信します。
あなたに忠実で献身的な友、クロード・ドビュッシー 』

ドビュッシーがイザイに宛てた1896年10月の手紙では、『独奏ヴァイオリンと管弦楽のための三つの夜想曲(Nocturnes)は、私が好きな、且つ称賛するユージン・イザイに献呈するものだ。』 と書いています。さらにこの何年か前には、ドビュッシーは1893年作曲の素晴らしい弦楽四重奏曲をイザイ・カルテットに献呈しています。その際の手紙でドビュッシーはイザイにこんな事を書いています。さらにこの何年か前には、ドビュッシーは『私が作曲した弦楽四重奏曲についてのあなたの意見が気になります。そしてこの弦楽四重奏曲にどんな運命が与えられるのか、知りたくてたまりません。』


ドビュッシーはこの手紙で更に、彼が作曲したこの弦楽四重奏曲は、La Libre Esthetique (ラ・リブレエステ / 1983年にブリュッセルに設立された芸術団体) 主催のコンサートで演奏される予定である事を、Art moderne 誌を読んで知ったと書いています。そして、ドビュッシーの希望通りに、イザイが演奏者を務めるのかどうかを手紙で尋ねています。ドビュッシーの弦楽四重奏曲は、1893年12月29日に Societe Nationals de Musique での演奏会で、イザイ・カルテットによって初演され、続いてブラッセルのLa Libre Esthetique でも演奏されました。以降 イザイはこの弦楽四重奏曲を、当時のフランス室内楽曲の中の最高レベルのものとして しきりに推奨しました。ドビュッシーとの関係が悪化し、ドビュッシーがオペラ Pelleas and Melisandre (1902年4月30日初演)のイザイへの献呈を取り下げた後ですら、イザイはこの弦楽四重奏曲を演奏し続けました。

オペラ pelleas and melisandre初演を遡る事8年前に、ドビュッシーはイザイにこんな手紙を書いています。

『 Pelleas and Melisandreについてのあなたのご意見は、私にやる気を与えてくれました。私がこのオペラをあなたに献呈する喜びと同じくらい、あなたがこのオペラの献呈を受ける事を喜んでいただける事を切に願います。』

イザイとドビュッシーはその後もお互いへの敬意を持ち続けました。この事はイザイがドビュッシーの音楽を演奏し続けた事でも確認できます。また イザイに宛てた1903年12月30日の手紙では、ドビュッシーがイザイとの友情を取り戻そうとしていた意欲が読み取れます。ドビュッシーのこの様な意欲を知り、イザイはドビュッシー作曲の三つの夜想曲(Nocturnes)の演奏を指揮する事にしました。これを受けてドビュッシーはこんな手紙をイザイに出しています。

『親愛なる私の友よ、リンデンラーブ(Lindenlaub)からの手紙で、あなたが三つの夜想曲(Nocturnes)の演奏を指揮すると知りました。私がとても喜んでいるのは言うまでもありませんが、私が夢にまで見たこの演奏会には野暮用があって行けないのが残念でなりません。あなたと前回お会したのは随分以前ですね。この間にあなたの周りの人達が私についてどんな事をあなたに吹き込んでいるかわかりませんが(友人達は時には信じられない様なやり方で噂を拡散するものです)、あなたが私を信じていてくれる事を願います。芸術や美の分野でのあなたからの “借り” を、私は忘れていないのですから。私はいつでもあなたの最大の称賛者です。  クロード・ドビュッシー』

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